[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木part4 1969年2・26BI-デスト戦

シリーズ天王山の東京大会のポスターより
[週刊ファイト2月18日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木part4 1969年2・26BI-デスト戦
 by 藤井敏之
・昭和43年2月26日大阪インター・タッグ選手権試合BI砲デスト&ラモス
・ファン投票募り“卍固め”と命名されたオクトパス・ホールド大反響
・3・4インターナショナル選手権ジャイアント馬場にデストロイヤー挑戦
・牧童コンビ ポール・ジョーンズ&ネルソン・ロイヤル
・フランク・ホルツ、ジム・オズボーンの面々など充実のダイナミックS
・チケットを懐かしくかざすデストロイヤー!当時の入場券は金箔押印


 日本プロレスの年間シリーズにおいては4月開幕の本場所ワールド大リーグ戦に向け1月から2月にかけての新春シリーズ、2月から3月上旬のダイナミックシリーズと盛り上げてゆく故、意外と大阪での3月度のビッグ・マッチは少ない。また、1969年代は大阪でインター・タッグ選手権試合、東京でインターナショナル選手権試合という構図が成り立っていたように思える。
 このダイナミックシリーズにおいても例外無く、大阪ではインター・タッグ選手権試合の開催となる。

黄金タッグジャイアント馬場&アントニオ猪木      当日のパンフレット

 7度目の来日となる“覆面の魔王”ザ・デストロイヤーは人気が衰えることなく、益々磨きがかかった足四の字固めを引っ提げて、相棒に”猛牛”ブル・ラモスを指名し初めてBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木組)のインター・タッグ王座にアタックしてきた。

控室でもその仕草には貫録が漂う

 初来日であるブル・ラモスの実績も素晴らしく、1969年よりWWWFのリングに上がり、東部地区の檜舞台マデイソン・スクエア・ガーデンで時のWWWF世界王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦し善戦、その後も東部地区で活躍、1969年には西海岸ロスに渡りアパッチ旋風を巻き起こしていた中での来日である。     

ザ・デストロイヤー&ブル・ラモス組       覆面の魔王と呼ばれていたデストロイヤー

 アントニオ猪木はゴッチ教室で特訓を重ねてきたスペシャル・ホールドを開発しその技名をファン投票で募り、最終的に“卍固め”と命名され大反響を起こしていた。なんとか馬場さんに追いつけ追い越せとギラギラしていた時代である。
大阪府立体育会館はデストロイヤー人気で、超満員札止めの人気で(主催者発表9000人)館内は大観衆で埋まっていた。

 1本目はラモスが奮闘。噛みつき、アパッチ・パンチで王者組を追い込み、最後は持っていた凶器をデストロイヤーに渡すと、それをデストロイヤーは覆面に入れ猪木の顔面へ頭突きをかまし得意のダブル・ニードロップからフォールを奪う(27分45秒)。
 2本目は外人チームに、ほつれが出て互いの凶器の受け渡しを失敗したところをレフェリーのトルコが見つけ外人の反則負けを宣言(8分12秒)。前回の新春シリーズでもブラジルが相棒ハンク・ジェームスを殴りつけたように、デストロイヤーも連携をミスったラモスをリング上で殴りつける。

馬場と猪木の競演

 決勝ラウンドが開始したが、外人チームに凶器乱打された馬場がコーナでダウンしたまま、それを見た猪木は馬場に水をかけ奮発さす。デストロイヤーはここぞとばかりにパイル・ドライバーで馬場を追い込んで行く。馬場を救出した猪木はラモスを標的に定めナックルパンチの連打を放つ、蘇った馬場は脳天チョップ、16文のフルコースから猪木にタッチ、コーナポストに登るとフライング・二―ドロップを落下させラモスから完璧なフォール勝ち(5分52秒)。覆面の魔王相手に冴えわたる猪木の技と力、まさに猪木の独壇場の防衛戦だった。晩年、御二人で卓を囲んで会談された時、デストロイヤーさんは猪木のリング上の表情、ガッツ、そして技の豊富さを褒められ「素晴らしいレスラーだ」と絶賛されておられました。

猪木のドロップキックがデストロイヤーに炸裂  馬場を援護する“若獅子“猪木
       
馬場の脳天チョップがラモスに炸裂!    猪木とデストロイヤーの攻防 


☆最長不倒の貴重写真の数々と現場記者の記事を収録した週刊ファイトにしか不可能な『追悼:ザ・デストロイヤー』が好評発売中。
※1080円電子書籍e-bookで読む(カード決済ダウンロード即刻、銀行振込対応)
追悼:ザ・デストロイヤー

3・4インターナショナル選手権ジャイアント馬場にデストロイヤー挑戦

 その後、シリーズの天王山である東京・千駄ヶ谷の東京体育館においてジャイアント馬場にザ・デストロイヤーが挑戦したインターナショナル選手権試合が行われ、猪木は馬場のセコンドに付き、馬場をフォロー。相手チ-ムのセコンドであるジム・オズボーン、ネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズの牽制を交わし馬場を援護する。60分闘い抜き勝利したリング上の馬場に近かより、勝利を讃える私服姿の猪木がテレビ画面を通じてカッコ良く自分の目に映った。
 猪木の心中は翌月から始まる『第11回ワールドリーグ戦』を既に見つめ、「今年こそは俺が優勝して馬場さんに並び、そして追いつくんだ」という闘志がメラメラと燃えていたに違いない。

牧童コンビ ポール・ジョーンズ&ネルソン・ロイヤル   勝利の美酒に酔うBI砲
※ポール・ジョーンズは後年のWCWマットでは一時期ヒールマネージャーとしておなじみの存在であった、その若き日の姿である。


ネルソン・ロイヤル、フランク・ホルツ、ジム・オズボーンの面々

当時の大阪府立体育館 選手入場口の模様               

猪木の胸中はいかに?
                                       
当日のチケットを懐かしくかざすデストロイヤー 当時の入場券は金箔が押印されていた。