[ファイトクラブ]秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木part1(1967年1月5日)

[週刊ファイト1月28日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼秘蔵写真で綴る浪速のアントニオ猪木part1(1967年1月5日)
 by 藤井敏之
・東京プロレス&国際プロレス合同『パイオニア・シリーズ』第1弾
・アントニオ猪木vs.“南部の猛虎”エデイ・グラハム60分3本勝負
・勝負の行方は?
・控室でのヒロ・マツダと若き猪木
・ザ・ケンタッキアンズvs.マンモス鈴木
・メインのマツダとホッジのNWAJrタイトルを賭けた攻防


 アントニオ猪木さんが腰の治療で入院されると聞く。これまで我々に夢と希望と元気を与え続けてくれたプロレス界の至宝である猪木さんの少しでも早い回復祈り、再び私達に元気をいただけるようにと、昭和41年から昭和49年にかけて大阪で行われてきたプロレス大会の秘蔵写真を、アントニオ猪木さんを中心として毎月公開してゆくことにしたい。
 東京プロレス時代から日本プロレスへの復帰、BI砲全盛期、そして日本プロレスを追放され新日本プロレス設立までの青春激動期を振り返って行きたいと思います。

 今回は昭和42年、1月5日大阪府立体育会館で行われた、東京プロレス&国際プロレス合同『パイオニア・シリーズ』第1弾のもようを御伝えしたい。
 前年、豊登に勧誘され新たに立ち上げた東京プロレスは旗揚げ興行(昭和41年10月12日 対ジョニー・バレンタイン 蔵前国技館)こそ成功したが、日本プロレスとの興行戦争に惨敗し国際プロレスとの合同興行に踏み切ったのである。ただ合同興行というのは名ばかりで実際には国際プロレスの興行であり、猪木以下の東京プロレス勢はギャランテイー契約でのシリーズ参加であった。ただ、豊登の姿は会場に無く、のちに告訴合戦へと進展してゆく。

井上譲二1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!! We Remember第一弾

 大阪2連戦のカードが、主催者から発表され、第一戦はNWA認定世界ジュニアヘビー級選手権者のダニー・ホッジにヒロ・マツダが挑戦、第二戦はマツダ、猪木のNWA認定世界タッグ選手権にザ・ケンタッキアンズ(ジェーク‟ザ・グリズリー”スミス、ルーク・ブラウン)が挑戦するという豪華版。スミスは蛇男ジェイク‟スネイク”ロバーツの実父である。
 旗揚げ2連戦初戦はプロレスファンの興味を引き、7500人(主催者発表)で満員マークがつく人気ぶり。アントニオ猪木は“南部の猛虎”エデイ・グラハムとの60分3本勝負が組まれた。


試合前のトレーニングに励む猪木  フロリダ地区のビッグ・ボス Eグラハム


ジャパンのガウン姿に早やオーラが漂う  ヘッド・ロックで締めあげる


得意のナックル・パートでグラハムを追い詰める猪木


リング上での力比べ         腕を攻められる猪木の表情が良い   


猪木の水平チョップに吹っ飛ぶグラハム   コーナーのグラハムに詰め寄る猪木


得意の複合技でグラハムのスタミナを消耗さす

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