[週刊ファイト12月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第61回
新弟子の頃、サイパンの浜辺で悶絶した蝶野。そのワケは・・・
・90年代に東京ドーム大会の立役者となったのが闘魂三銃士
・両巨頭から見て同期の蝶野「素質なし」と判断されていたのだ
・大方の予想通り、三銃士の中で武藤の出世が1番早かった
・蝶野は90年代終盤に空前のnWoブームを巻き起こし
新日本プロレスのイッテンヨン&イッテンゴが近づいているが、90年代に東京ドーム大会の立役者となったのが闘魂三銃士。同大会のメイン出場回数は蝶野正洋が1番少ないが、集客力では武藤敬司、橋本真也にヒケを取らなかった。3人の中で若手時代に最も期待されなかったのは蝶野である。
武藤敬司
橋本真也
83年の前田日明、高田延彦らのUWF移籍に続き、翌年9月に長州力など13人がジャパン・プロレスへ集団移籍。A・猪木、坂口征二、藤波辰爾以外に新日プロに残留したのは数人の中堅と入門間もない若手だけだった。
この年に入団した武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の3人が通常よりも早い時期に海外武者修行に送り出され帰国後、慌ただしく売り出された背景にはそのような危機的な状況があったわけだ。
とりわけプロレスの世界においては、トップクラスの選手が引退するか、戦場を他団体へ移さない限り、なかなかスターダムにのし上がれない。その意味において三銃士には幸運もあった。
新日プロの副社長と現場監督を兼任する坂口征二氏は危機感を募らせていた。3本柱(猪木、坂口、藤波)の人気と体力が衰えないうちに客を呼べるレスラーに成長してくれ-武藤らに対し、そんな思いを抱いていた。
武藤、蝶野、橋本がデビューして半年ほど経った頃、坂口氏は地方会場で私にこう言った。
「タッパ(身長)があって動きに躍動感のある武藤は必ずモノになるよ。橋本も馬力があって将来、長州のようなラフ&パワーファイターになるんじゃないかな。とにかく、5、6年で頭角を現してもらいたい」
別の大会で猪木に「1番期待している若手は?」と尋ねると、猪木も武藤と橋本の名前を挙げた。
つまり、両巨頭から見て同期の蝶野は「素質なし」と判断されていたのだ。
事実、柔道で鍛えられていた武藤、橋本と比べると、暴走族をやっていた蝶野はセメントの練習で1番弱い。加えて、体の線も3人の中で最も細かった。
84年のサイパン合宿ではこんなことがあった。
浜辺での合同練習が終了した後、ドン荒川と世間話しをしていたところ、突然、「ギャーァ」という悲鳴が聞こえてきた。