[ファイトクラブ]ウィリー・ウィリアムス死去~KENTA新日と新体制ノア~Dominion余波

[週刊ファイト6月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ウィリー・ウィリアムス死去~KENTA新日と新体制ノア~Dominion余波
 photo by 泉南友香、西尾智幸/他 タダシ☆タナカ+シュート活字委員会編
・新日プロ黄金期にして極真空手の幻想がピークだった1980年2月27日
・新体制ノアの大々的な記者会見目玉になるハズだったKENTAの翻意
・三沢光晴メモリアル2019教訓と重なる内藤哲也-飯伏幸太DOMINION


―― トップ画像は普通に(笑)、今週の総括担当としてはオカダvs.ジェリコなんですが、6月20日号はDOMINION関連が4本になりますから、深淵分析は後半ということにして、冒頭はウィリー・ウィリアムスさんが心臓病で6月7日に亡くなりました。67歳没。昭和プロレスにも強い本誌ですから、取り上げないわけにはいきません。

オフレコ 1980年2月27日、蔵前国技館の「格闘技世界ヘビー級選手権試合」のインパクトは強烈だったから。もちろん伏線としての梶原一騎制作の映画『地上最強のカラテ』シリーズ、漫画『四角いジャングル』も掘り下げる必要ありなんだけど、一試合の強烈な印象だけで伝説になり、その後も正道会館の「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」、リングス参戦、アントニオ猪木と「ファイナル・カウント・ダウン」カードも組まれ、「FMW旗揚げ10周年記念大会」にまで呼ばれた。かの1980年の異種格闘技戦に影響された世代がのちにプロモーター側になると、あのウィリーを呼ぼうという発想になる。

―― 本人は米国では馴染み黄色いスクールバスの運転手で、空手家だからグローブなんかつけたこともなかったのに、異種格闘技戦のイメージもあるからウィリーだけグローブ着用という・・・。まぁなにしろ新日本プロレスが世間一般に浸透した本物の黄金期にして、極真空手の幻想がピークだった時代背景から説明しないと、今のファンには全体像が理解できないと思われます。

オフレコ 訃報が伝わって、僕がやっていた『WRESTLING DIGEST』誌に大特集やったから、間違いなく自前写真もあると、ニュースを知ってから段ボール箱とかアチコチ探し始めたんだけど、丸2日くらい探しまくったのに出てこない。それでブログの訃報段階では出せなかった。

―― 個人ブログやSNSでは許されても、専門媒体は自前写真がないんじゃ格好つきません。

オフレコ まぁ、いろいろ探しまくる作業は無駄ではなくて、こんなのも見つかったとかあるから、それは順次出せる機会があるとは思うけど、猪木のベロ出し失神を扱った単独電子書籍本の『1983年のアントニオ猪木~We Remember人間不信』もあるから、またあらためて異種格闘技戦はやろうかと。

―― 2006年からのミルホンネットのWebサイトにせよ、用語で検索してみて昔のエントリーがヒットして、「そうか、○○はこの時はまだ前座で、△△と闘っていたのか」とか、色々思い出したり、新たな発見があったりで、次の記事執筆のヒントになることも少なくありません。

オフレコ 忘れていることばかりだからね。関西本部担当の座談会でも、ちょうど「記憶違いの証言」が独り歩きしてしまう懸念が指摘されていた。人間の記憶なんかいい加減なモンだから。

―― とにかく1980年の異種格闘技戦では、セコンド陣や極真の取り巻き門下生たちはプロレスをわかってないし、何ら段取り知らされていませんでしたから・・・。ご冥福をお祈りしておきます。

新体制ノアの大々的な記者会見目玉になるハズだったKENTAの翻意

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