ウォーリー山口さん逝く!元ゴング記者、WWFのKAIENTAIマネージャー、インディー団体レフェリー

 ウォーリー山口さんの訃報が飛びこんできた。享年60歳。元ゴング記者で、インターナショナル・スクールで教育を受けたので英語がペラペラ。WWF時代は裏方として日本とのリアゾンを務める一方で、みちのくプロレスから世界に羽ばたいたKAIENTAIのマネージャー「ヤマグチサーン」としてもたびたび番組に登場。”choppy choppy pee pee”を毎週のように何度も連呼して、ヴァル・ビーナスのポコチンを日本刀でぶった斬るスキッドをやっていたが、寸止め劇を繰り返したあと、シルクスクリーンのシルエット演出だったと記憶するが、実際にちょんぎるセグメントもお茶の間向けRAWでやってしまい、やりすぎだと視聴者から抗議を受けることに。以降、テレビには謹慎のような格好になり、KAIENTAIとともにフェードアウトしていったことが世界レベルでは知られている。

 日本では、一時は馬場さんの側近として、全日本プロレス関係の様々な外部との契約にかかわることになるが、のちに決裂。自宅地下にリングを所有したこともあり、様々なインディー団体にかかわり、世話になった選手は数知れず。自身が主催するプロモーションもあったが、未払いのまま崩壊という挫折も経験している。オモテではアチコチでレフェリーとしても活躍したが、大仁田厚が「5万円でFMWを旗揚げ」のエピソードは、ウォーリー山口さんの自宅を事務所としていたことでも知る人ぞ知るなのだ。


90年3月1日、ユニバーサルプロレス旗揚げ大会の秋山vs.村川戦でレフェリーをするウォーリー

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1994年11月の『格チャン100回記念SP』収録での一コマ

 本誌とは、寺内1/2兵衛が司会だったGaora放送の『格闘チャンプフォーラム』にもたびたび出演していたが、ミル・マスカラスFC誌『エルアミーゴ』からの縁ということになろう。米国在住の弟シュン山口は、FUNAKI(船木勝一)とWWEネットワークで中継されるメジャーなPPV大会の日本語版実況を担当している。
 ご冥福をお祈り申し上げます。


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追悼:ザ・デストロイヤー