Top画像:82年のNWA総会:新間寿、ビンス・マクマホンSR、ドリー・ファンクJR、ジャイアント馬場
[週刊ファイト2月7日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼短期連載『ジャイアント馬場 表と裏の顔』 第3回
全日が大物外国人の宝庫となった背景に新日への異常な敵ガイ心
by 井上 譲二
・ジャイアント馬場が最も固執したのは大物外国人の流出だった
・『世界最強タッグ決定リーグ戦』の参加メンバーは豪華けんらん
・当時のプロレスメディアは米マットに対する馬場の政治力を称賛
・まさに札束で顔をひっぱ叩く馬場の外交政策
NWA系で新日本プロレスに移籍したディック・マードックとジャック・ブリスコ
全日本プロレスと新日本プロレスが激しく対立していた頃、ジャイアント馬場が最も固執したのは大物外国人の流出だった。一時はほぼ完ペキに阻止しているように見受けられたが、新日プロはWWWFとの正式契約にこぎ着けただけでなく、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジャック・ブリスコ、、ディック・マードックなど全日系外国人の獲得にも成功。100%ではないが、馬場のブッカーとしての神話は崩壊した。
古いファンなら馬場・全日本プロレスの最大のウリが大物外国人であったことをご存知だろう。
とりわけ、毎年暮れに開催されていた『世界最強タッグ決定リーグ戦』の参加メンバーは豪華けんらん。プロレスメディアをアッと驚かせ、ファンをワクワク気分にさせた。
だが、その一方で米マットの有力プロモーターからはクレームが付いた。要するに、『世界最強タッグ』開催中の11月下旬~12月中旬は彼たちにとっても書き入れ時。そんな大事な時期にごっそり日本に行かれたらビッグマッチのカード編成に支障をきたすというもの。
米マットでも売れっ子の大物外国人は通常のシリーズにも2、3人入っていたが、これには興行、テレビのテコ入れとともに、もう1つ目論みがあった。ライバル関係にあった新日プロへの流出阻止がそれである。
1年に1回しか呼ばなければ新日プロに取られるかもしれない。そんな懸念があって複数回に渡って招へいしていたようだが、馬場の流出阻止への執念は我々マスコミの想像以上だった。
ジャイアント馬場