[週刊ファイト8月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼KNOCKOUT神興行の所以 不可思がみせた勝負論と観客論の融合とその先
photo & text by こもとめいこ♂
・8・19KNOCK OUT大田区総合体育館大会もやはり神興行!!
・浄土真宗の仏門からキックボクサーへ…初代スーパーライト級王者は不可思
・秀樹との勝敗の分かれ目を独自の視点で分析!!
・世界最高峰王者ヨードレックペット貫禄勝ち直後のKO劇に森井の意地を見た
・カメラ目線をくれる青山ひかるさん最高!KOガールズ&ゲスト陣グラフ
KNOCK OUT初代スーパーライト級の決勝が行われた翌々日の8月21日(火)、阪神甲子園球場で『第100回全国高校野球選手権大会』の決勝戦が行われ、北大阪代表の『私立大阪桐蔭高等学校』が秋田代表『秋田県立金足農業高等学校』を下して、春夏連覇を成し遂げた。
しかし優勝したのは大阪桐蔭だが、現在マスコミを賑わせるのは圧倒的に敗者である準優勝校の金足農業。判官贔屓と言われるのもむべなるかなという程に、両校は対照的過ぎた。
私立の強豪で、大阪府外出身の選手達が集まった大阪桐蔭、片や中学の同級生9人が
「みんなで金農に行って野球をしよう」
と誓いあった仲の県立の農業高校。
ぶ厚い選手層の大阪桐蔭は、投手も継投で勝ち上がってきたが、先の中学からの9人が1人の交代も無く決勝まで辿り着いた金足農業。中でも大黒柱の投手吉田は、地方予選から10連続完投、決勝も5回の降板までで1517球を投げ抜いた。
今回で春夏合わせて8度目の全国制覇の大阪桐蔭に対し、秋田県勢どころか、東北6県の悲願である深紅の大優勝旗の白河超えを、記念の100回大会に、第1回大会に決勝進出した秋田中学以来103年振りに成し遂げようとしていたのが金足農業だ。
大阪桐蔭にも、昨夏、その東北・宮城の仙台育英に9回2死から1塁ベースの踏み損ないをキッカケに大逆転を許した3回戦の雪辱を、勝って当然のプレッシャーをはね除けて果たすというドラマがあった。
だが、大阪桐蔭のドラマはやはり大阪桐蔭という一校のものであって、好投手吉田の
「秋田の、東北のみんなの気持ちを背負って必ず勝つ」
という、東北6県900万人の悲願の前にはいかにも小さく感じられる。プロレスなら間違いなく金足農業の優勝で幕を閉じるはずだ。
それが為されなかったのは、勝負故の帰結ではあるが、だからこそ、メディアは金足農業に肩入れせざるを得ない。大阪桐蔭に深紅の大優勝旗が飾られる以上は、敗れた側にそれに変わる賞賛を与えるのはメディアに課せられた「バランスを取る」使命だとも言える。
勝負とは非情なものであり、感動を呼ぶ結末が着くとは限らない。総合格闘技の勝負論によってプロレスが滅ぶかと思われた2000年初頭を乗り越えて今のブームの再来があるのも、結局「ショッパいのは人生だけで沢山だ」という、我が国の衰退も一因なのかもしれない。
だから『RADIO KNOCK OUT』で
「試合で人の心を動かしたい」
という言葉が不可思から出た時は「オヤ」と思った。
勝負論から言えば、観客以前にまず自分だ。だが森井洋介や町田光に顕著だが、KNOCK OUTの選手からは、自分が勝てばいいという以上の観客論、興行論がよく語られる。
隆盛を誇ったK-1から切り離されたキックボクシングの永年の低迷を打破したいという気持ちがあるのかとも思う。
不可思が同じく『RADIO KNOCK OUT』で、高校を辞め、単身タイに向かう時、僧侶の父親から何の干渉も受けなかったと聞いた時、そんな放任主義のお寺は浄土真宗なのだろうと思ったが、果たしてMXの番組で訪ねた実家の願生寺は浄土真宗であるという。小学生から当然の如く寺の手伝いをし、住職の資格を持つ不可思の思考に、浄土真宗の教えが根ざしているだろう事は想像に難くない。
修行を行い悟を開いた高僧と、その庇護者である貴族など、少数の特権階級だけが救われるとされた小乗仏教から、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば誰もが極楽浄土へ行ける。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」と、阿弥陀如来の、他力による救いを説いた浄土信仰から発展した浄土真宗。その教えでは、人は亡くなれば即往生して極楽へ行けるので、霊という概念はない。だからお通夜だろうが香典袋には「御仏前」。線香は折って寝かせる、お焼香は押し戴かずただくべる。
絢爛な寺院の建立や、華美な葬儀を行う事で厳しい修行の代わりとし、悟を開いた高僧と供に極楽浄土へ行こうとする既存の仏教へのカウンターとしての浄土信仰故の事であろう。筆者の菩提寺の浄土真宗のお坊さんは、お布施が多いとわざわざ返しに来る。お布施の過多が地獄へ行くかどうかを決めたりはしないという信仰の具現化であろう。
だから放任とはいえ、そんな教えの元に育った不可思の口から、勝負に於いて闘う相手以外の事が語られるのは当然の帰結だとも言える。
放任主義の父・俊明ご住職が子育てを全くしなかったと嘆いているという、不可思こと水谷深のタイ出身の母は、その番組に姿を見せなかった。その奥ゆかしさは、秀樹と、鬼嫁のいつか夫人のメディアへの露出を
「奥さんの方が目立ってる。俺だったら嫌ですね」
という不可思の夫婦感に影響を与えているのかもしれない。
そんな秀樹といつか夫人は、トーナメント優勝賞金の300万円を結婚式の費用に当て込んでいるといると事前に語っていた。一方不可思は試合後、100万円ぐらいをファンを無料で招待するパーティーの費用に充てたいと語っている。だが、秀樹が結婚式を挙げたいという煩悩に囚われていて不可思はファンサービスをするから偉いと言いたいのではない。秀樹といつか夫人の、「結婚式を挙げたい」という願いが個人的に感じられたとしても、「だから秀樹が負けたのだ」という事もないだろう。不可思とて、BMWに乗りたい、髪を染めたいという煩悩から逃れている訳ではないからだ。
自らの煩悩に向き合い、凡夫の自覚を持っているかどうかの違いだけの同じ衆生であろう。人は等しく死を恐れながら老いていく。