[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第43回 報道に寛容な新日に対し全日は取材制裁!?(80~90年代)

[週刊ファイト7月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第43回
 報道に寛容な新日に対し全日は取材制裁!?(80~90年代)
・『週刊ファイト』ほど団体からクレームを付けられたプロレス専門紙(誌)はなかった
・関東の一部の全日ファンの間で『ファイト』不買運動が起こりかけた
・気に入らない記事を書いたにせよ、これほど不愉快な仕打ちはなかった
・私は、らしくない新生・新日本プロレスのマスコミ対応に驚いている


 これまで述べてきたように、かつて『週刊ファイト』ほど団体からクレームを付けられたプロレス専門紙(誌)はなかった。警戒されるだけでなく嫌われた。しかし、新日本プロレスと全日本プロレスの対応の仕方は大きく違っていた。

 文句を言いながら『ファイト』の取材にも協力的な新日プロに対し、全日プロは抗議してこない代わりに裏で”制裁”を加えてきた。それも両団体のページ数などに差が生じた大きな要因である。


坂口征ニに取材するI編集長

 『ゴング』、『プロレス』がまだ月刊誌だった1980年代初め、関東の一部の全日ファンの間で『ファイト』不買運動が起こりかけたことがあった。

 ジャイアント馬場やジャンボ鶴田の批判記事がその理由ではなく新日本プロレスと比べて全日本プロレスのページがあまりにも少なかったためだ。

 しかし、それは井上義啓編集長(以下、I編集長)が新日プロの試合スタイルを支持したことだけが要因ではなかった。馬場・全日プロには『ファイト』のカラーにマッチしたネタがなかったのだ。

 私はI編集長が大阪府立体育会館の日本組控室でジャイアント馬場に喰らい付いている光景を何度も目撃している。また、自ら広報部長の米沢良蔵氏に電話をかけ”全日プロ情報”を引き出そうとしていた。

 で、馬場や米沢氏から返ってくる言葉は「何もないよ」、「まだ分からないな」か、「話せる段階じゃない」。これじゃ1つのネタを大きく膨らませることに長けているI編集長も手の打ちようがなかったわけだ。決して両団体の扱いに対するバランスの悪さを放置していたのではない。


ジャイアント馬場さん

 一方の新日プロはアントニオ猪木が特ダネこそくれなかったが、一生懸命、I編集長の質問に答え、新間寿営業本部長もせっせと情報を提供してくれた。必然的に新日プロのページが増えていったのはやむを得なかった。

 当時のマスコミ関係者らにとって意外かもしれないが、I編集長の時代にも新日プロからのクレームはたまにあった。新間氏のみならず坂口征ニ副社長からも抗議の電話がかかってきたことを憶えている。


新間寿氏

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