髙橋“人喰い”義生が56歳で現役復帰を決めた理由
~佐山サトルさん、船木誠勝さん、そして髙山善廣のこと
初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.38
3・19後楽園大会に向けて
昨年12月、髙橋“人喰い”義生が7年ぶりに現役復帰を果たした。同年6月の「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレス」の会場に突然姿を現し船木誠勝のセコンドに付くと、同年9月、今度は川村亮のセコンドとしてリングサイドで試合を見守り、試合後は大乱闘。髙橋はマイクを掴むと「本物のストロングスタイルを教えてやる!」と復帰を宣言したのだ。2018年のジ・アウトサイダーを最後にリングから遠ざかり、56歳で現役復帰を果たした髙橋の想いとは。東京都東大和市のファイティスジムMSCで会員の指導に当たっている髙橋を直撃した。
(プロフィール)
髙橋“人喰い”義生
1969年3月13日、千葉県出身。八千代松陰高、日大でレスリングを経験し、91年、プロフェッショナルレスリング藤原組入門。92年デビュー。93年、パンクラス旗揚げに参加。97年、UFC初出場で日本人UFC初勝利。01年、パンクラスヘビー級王座決定トーナメントを制して王座戴冠。13年、パンクラスで引退。2017年ハードヒット、2018年ジ・アウトサイダーに参戦もその後はリングから遠ざかり、昨年12月、初代タイガーマスクストロングスタイルプロレスで現役復帰。髙橋は、漫画「高校鉄拳伝タフ」(猿渡哲也作)に登場するプロレスラー高石義生(人食い義生)のモデルで「リングネームに人喰いを使わせて貰ってます」と髙橋。
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一度プロレス格闘技から離れよう。普通の仕事をしてみたが……。
――髙橋さんの現役復帰に驚いたプロレス格闘技関係者は多いと思います。しばらく会場にも現れなかったですよね?
「2017年にハードヒットで佐藤光留と試合をして、それを最後にプロレス格闘技から一回離れたかったんですよ。身体はボロボロでちゃんと動けなくて『一度プロレス格闘技から離れて普通の仕事をしてみよう』と思い、整体の仕事を5年ぐらいしてました。ただ『やっぱり生きる場所が違うな、また格闘技に携わりたい』と考えていた時にファイティスジムMSCからトレーナーの話があって、すぐに乗っかったっていう感じなんですよ」
――それが2023年。Facebookを拝見したら2年以上掛けて身体を作り直して「戦える身体」に戻されたんですね。
「休んでいる間に悪かった内臓も良くなり、痛めていた右目の手術もして、身体は良くなりましたけど、もう外見なんか気にせずトレーニングもしてなかったので『普通のおっさん』になってましたから(笑)。55歳の誕生日に『ゴジラプロジェクト』と勝手に言って身体作りを始めて、松井秀喜さん=愛称ゴジラ=背番号55が会員さんたちには全然通じなかったですけ(苦笑)、身体を戻せたのは会員さんたちのおかげです。会員さんは格闘技未経験者が多いし、普通に『ダイエット目的です』という人も一杯いるんですよ。そういう人とスパーリングしようとしたら『髙橋さんは身体が大きくて、力が強すぎるから』と拒否されてしまいまして(笑)」
――どれぐらい体重はあったのですか?
「その頃は100キロ近くありました(苦笑)。それで『みんなで身体を作っていきましょう』と呼びかけて、自分は79キロまで落としたら去年から寝技のスパーリングに入れるようになりました(笑)。そこからバルクアップして90キロぐらいにして、少し腹も出てしまったのでもう一度落として、今は90ぐらいです。『50代でも格闘技で身体は変わりますよ』と会員さんに身をもって示した感じなので、ファイティスジムMSCがなければ現役復帰もしていなかったでしょうね」
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現役復帰を決めるまでのドラマ。船木誠勝さんと高山善廣に背中を押されて。
――お聞きしてると「現役復帰するための身体作り」ではなかったのですね。
「始めた頃は復帰までは考えてなかったですね。復帰するまでいろんな流れがありましたけど、1つはジムで今どきの若い子たちに背中で示したい、という想いです。『チャンスはどこにでも転がってるぞ。ただチャンスを掴むか掴まないかはその人次第だよ』とよく話すんです。今どきの子って、みんな『何となくやってみていい感じだったら』というんですけど、明確に『プロになる』『チャンピオンになります』っていう子がそんなにいないです。だから『見ててごらん。やることをちゃんとやっていくとチャンスは転がってくるから、あとは掴めばいいんだよ』と自分で見せているつもりです」
――そうだったんですね。
「身体を一度絞って、バルクアップして、もう一度絞って今の身体になったタイミングで船木(誠勝)さんから突然連絡を貰ったんですよ。お互いに携帯番号は変わってて、僕も船木さんの連絡先を知らなかったんですけど、誰かから聞いてメールでやり取りするようになって『9月の新崎人生さんとの試合を見に来ない?』と誘われたんです。木曜日はジムを僕がメインになって回す日なので休めないんですけど、その日は特別に休みを貰って後楽園ホールに行ったら、船木さんが突然『セコンドに付かない?』。会場では僕の身体を見た選手や関係者から『コンディション良さそうだね』『復帰するんですか』と聞かれて、その試合の後に『試合をしませんか』という話がポンと来た。だから『ここは乗っかってやるべきでしょ』と思い復帰したんです」
――2年も掛けて作った身体が試合のオファーにつながったんですね。
「そうなんです。準備が整った時に人から誘いを受けて、誘いに乗っかったらチャンスが来た。それと、バックステージで準備を終えて、船木さんの入場曲が掛かって入場する直前に船木さんが目で『行くぞ!』とアイコンタクトしてきた時、昔の記憶がフラッシュバックしたんですよ。その瞬間にゾクゾクして『俺もまた試合がしたい』って思っちゃったんですよね(笑)」
――いい話です。東京ドームの船木誠勝vsヒクソン・グレイシー(2000年)の時も髙橋さんがセコンドでしたよね。
「そうです。やっぱり船木さんなんですよね。船木さんが『セコンドに付いてよ』と言ってくれていろんなものが繋がった。それと1個、忘れちゃいけないことがありました。髙山善廣のことです。44歳の時に一度パンクラスで引退試合をして、ちょっとダラダラした生活をしてた時にどこかの会場で髙山と『髙橋さん、また一緒にやろうよ! 辞めるの早いよ!』『俺は目が潰れてるしできねえよ』という会話をして。その後に佐藤光留から試合の話が来て出たんですけど、同じ頃に髙山が試合中の事故でああなっちゃった。俺に戻ってこいと言ってたお前が……、とそこでまた気持ちが折れてしまって」
――そうだったんですね。
「格闘技の世界にトレーナーとして戻って、身体を作り直している時も『タカヤマニア』の会場には行っていたんです。会場で髙山に会って『髙橋さん、また試合やらないの?』と聞かれて『いやあ、俺、できねえよ』と言ったら『なんで!?』と食って掛かってきたんですよ。俺は目がさ、と言おうとして髙山を見たら『そんなこと小さな問題じゃん』と思って、それから復帰を考えてトレーニングするようになったんです。ただ、僕がやることをやったからといって簡単に上がれるものではないから、運が良ければって感じでいたらいろいろつながって復帰することになったんです。だから、復帰にあたっては髙山がすごい力になってくれましたよ」
――髙山さんに背中を押されたんですね。
「髙山とは金原弘光さんが主催したU-SPIRITSで一度やってるんですよ(2011年)。エベレストジャーマンを喰らって頭頂部から叩きつけられて(苦笑)。負けてしまいましたけど、あの試合は僕の中のプロレスのベストバウトです。だから、今年、身体を壊さずに戦い抜いて、ぜひタカヤマニアにも出たいと思っています」
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竹田誠志は「デスマッチ」を仕掛けてこい。俺が関節技で地獄を見せてやる!
「復帰にあたっては、お話をいただいたのが『佐山サトルさんの団体』というのも大きいです。僕はプロフェッショナルレスリング藤原組に入門して、藤原喜明の一番弟子だと思ってますし、カール・ゴッチの孫弟子でもあり、IGFでは猪木道場のコーチをやっていて猪木さんから直接いろいろなことを教えて貰いました。だから、佐山さんにはどうしても一度つながりたかったんですよ。佐山さんが初代タイガーマスクの後にシューティング(修斗)を作るじゃないですか。パンクラスよりリンクスより、世界のどこよりも早く総合格闘技を作り上げて、まだヘビー級のバケモン同士の戦いだった時代に一般の人の体格に合う階級制を作って『何年先行ってるんだあの人』ってずっと感じてて。佐山さんとは『ちゃんと会うべきだ』と思っていて、会場でお会いしても簡単に自己紹介してご挨拶したぐらいだったんですよ。その佐山さんの団体からのオファーを貰って光栄でしたよ」
――身体を作り、寝技のスパーリングを再開し、しかし「今のプロレス界で俺が上がれるリングはあるのかな?」と思ってた、とも。
「僕は今のプロレスも凄いと思ってます。技が多彩で僕らの時代とは戦い方も変わってます。だけど見てる側の判断ですよ。プロレスを見る若い子たちは完全にエンタメとしてしか見てなくて、そこに『戦い』があるとは思ってない。そこが悔しいですよね。僕にとって『プロレスは戦い』です。総合ができる前に佐山さんがシューティングを作って『本当の戦いはこういうふうになるんだよ。それをちゃんと見せれるのがプロレスなんだよ』と言ってて、僕たちは佐山さんの言葉が腑に落ちてそれを体現しようとしたのがパンクラスだったんです。そこから発展してMMAになって世界に広がって競技として確立しましたけど、僕は『それも含めてプロレスが本流だ』と思っています。MMAでは体重1キロ、2キロオーバーで騒がれますよね。契約は守って当然ですけど、どこかで『こっちは30キロオーバーだろうがやったよ』という気持ちもあるわけです」
――髙橋さんは「UFC日本人初勝利」という記録を残す一方で、セーム・シュルトやジョシュ・バーネットと無差別級で戦ったわけですよね。
「やってますね。『柔道だって無差別級があるんだから』と思いながら、あれはあれで楽しかったですよ(笑)」
――総合格闘技創成期で、何も整備されてない時代に戦っていたファイターは修羅場のくぐり方が違います。
「あの時ってロマンがありましたよ。何ができるかは分からないけど、必死になって懸命に何かを作ってた。グレイシーが来て『黒船来襲』と言われましたけど、本当に明治維新のような『みんなで新しい国を作っている時代』でしたから」
――その代償として、パンクラス引退後に右目を手術されたそうですね。サミングですか?
「そうです。パンクラスの時は何回も目に指を突っ込まれました(苦笑)。反則はアメリカ人にもやられたし、目突きはブラジル人が多かった(苦笑)。一番ひどかった試合では反則勝ちになってます」
――そういう時はやり返したんですか?
「いや、やらないです。当時は薬物を使ってるという噂のヤツもいましたけど『薬物でデカくしてるヤツらにナチュラルで勝ったら俺たち凄くない?』って思って戦ってました(笑)」
――凄いです。
「いろんな戦いをしてきた僕が佐山さんのストロングスタイルプロレスに入ることでどうなるのか。その化学反応が見たいです。僕はカール・ゴッチに直接教わってて、今『ゴッチスタイル』というと鈴木みのるになってますけど『俺もゴッチスタイルだよ』という気持ちもありますし。カール・ゴッチ、藤原喜明から教わったスタイルを佐山さんにぶつけてみたい。僕の一番の理想は師匠の藤原喜明のスタイルですけど、そこに僕なりのアレンジを加えて戦うつもりなので、見ているお客さんに受け入れられたらいいな、と思ってますね」
――3月19日、後楽園ホール「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレス」では6人タッグマッチ、スーパータイガー、阿部史典、竹田誠志対船木誠勝、間下隼人、髙橋“人喰い”義生になりました。
「船木さんと初めてタッグを組むんですよ。今から緊張してますし、すごい楽しみなんですよ」
――年齢を感じさせない船木さんと髙橋さんが並ぶ姿を想像すると、ファンはたまらないでしょうね。対戦相手の顔ぶれを見てどうでしょう?
「スーパータイガーは以前から興味がありました。なんか子供(阿部史典)が一人混ざってますけどそれはどうでもよくて、竹田誠志ってデスマッチをやってきたんですよね? 俺の知らない世界を知ってる人間だから『俺にデスマッチを仕掛けてこいよ、デスマッチを教えてよ』と思ってるんですよ(ニヤリ)」
――髙橋“人喰い”義生がデスマッチですか!
「僕がパンクラスにいた頃は、大仁田さんがやってたデスマッチは真逆の位置にあって、交わることは考えられなかったですけど。僕の中でプロレスは『戦い』であって、なおかつ『夢のある楽しいもの』だと思っているんですよ。やっぱりこのリングには夢がたくさん詰まっています。そういうことを僕は口で伝えるのは下手なので、動ける身体もあるので背中で若い子たちに伝えていきたいんですよ」
――最後に3月19日、初代タイガーマスクストロングスタイルプロレスに向けてのメッセージをお願いします。
「僕もまだまだ身体が動くし、若い子たちに自分の背中を見せて引っ張っていこうと思っているので。本物の技、本物の強さを見せていきますし、竹田には凶器でも何でもお前の得意なデスマッチを仕掛けてこいよ、と言いたいですね。俺が本物の関節技で竹田に地獄を見せてやりますよ(ニヤリ)」
――試合がますます楽しみです。本日はありがとうございました。(了)
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追加対戦カード
<“野獣” vs. “怪物” タッグマッチ 30分1本勝負>
藤田和之(プロレスリング・ノア) ケンドー・カシン
vs.
関根“シュレック”秀樹(ボンサイ柔術) 永尾颯樹(栃木プロレス)
——–<選手メッセージ>———————-
【関根“シュレック”秀樹】
ストロングスタイルプロレス平井代表に
「黒潮とのタイトルマッチが無くなったからにはそれなりの相手を用意しろ」とは言ったが…こう来たか。
いいぞ、いい!
藤田和之・ケンドー・カシンならば、たっぷりお釣りが来るわな。
タッグマッチだが、ターゲットは一人。永尾くん、カシンの方は頼んだ!
【永尾颯樹】
ストロングスタイルプロレス 初参戦させていただきます。
パワーの藤田選手とテクニカルなカシン選手を
パートナーの関根“シュレック”秀樹選手の力を借りて、僕の熱と気合い合わせて、喰らいつく食らいつきます!