photo by George Napolitano
[週刊ファイト8月14日期間] [ファイトクラブ]公開中
▼米野球殿堂入りのイチロー! それを超えるプロレスラーとは!?
photo:George Napolitano/他 by 安威川敏樹
・歴史の重みが感じられるアメリカ野球殿堂
・今では考えられないほどの実力差があった日本とメジャー・リーグ
・日本人野手でもMLB記録を塗り替えられることを証明したイチロー
・イチロー越えを果たした唯一の日本人プロレスラー
2025年1月21日、元プロ野球選手のイチローがアジア人として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たした。満票に1票足りない99.7%という高い得票率である。ちなみに、今まで満票での米野球殿堂入りを果たしたのはマリアノ・リベラ投手ただ1人だ。
7月27日、その表彰式が現地で行われたのは本誌の既報どおり。イチローはまさしく、日本の野球界が生み出した世界的なスーパースターと言える。
殿堂入りのBilly Wagner, Ichiro Susuki, CC Sabayjiaの諸氏

ジョージ・ナポリターノ記者、公式式典にも撮影出来てました。

▼イチロー日本人初MLB殿堂入り!ジョージ・ナポリターノの博物館潜入
歴史の重みが感じられるアメリカ野球殿堂
ニューヨークの中心地であるマンハッタンからバスに揺られること約6時間、ニューヨーク州の片田舎のクーパーズタウンにアメリカ野球殿堂がある。
失礼ながら、なぜこんなヘンピな所に野球殿堂があるのか? それは、この地がベースボール発祥の地とされていたからだ。
1839年、アブナー・ダブルデイ少将がクーパーズタウンでベースボールを考案したという伝説により、この地に野球殿堂が建てられたわけである。そのため、ここにはダブルデイ・フィールドというマイナー・リーグ用のボールパークがあるほどだ。
もっとも、現在ではダブルデイ少将がベースボールを考案したという説は否定されており、ニュージャージー州ホーボーケンがベースボール発祥の地というのが定説である。
だが、それはどうでもいい。これほど不便な場所でも、アメリカが生み出した代表的なスポーツであるベースボールの伝説を重んじて、この地に野球殿堂を建設したということに意義がある。
ちなみに、日本の野球殿堂博物館があるのは東京ドーム内だ。たしかに便利な場所にあるのだが、アメリカの野球殿堂と比べると歴史的な重みが感じられない。ここに日米の野球に対する考え方の違いがある。個人的には日本の野球殿堂は、野球好きが高じて自らの雅号を『野球(のぼーる)』とした正岡子規ゆかりの愛媛県松山市が相応しいと思うのだが。ついでに言えば、野球拳が生まれたのも松山だ。
ところで、クーパーズタウンは筆者がいちばん行ってみたい土地である。筆者が尊敬するノンフィクション作家の故・山際淳司さんが世界中で最も愛した場所が米野球殿堂だった。
山際さんの代表作と言えば『江夏の21球』である。それまでのスポーツ記事と言えば試合評がほとんどだったのを、山際さんは選手たちの心理状態を暴き出し、全く違う視点から捉えて単なる試合を文学にまで高め、スポーツ・ノンフィクションという新たなジャンルを開拓した。山際さんがいなければ、筆者もスポーツ・ライターを志しはしなかっただろう。
▼アメリカ合衆国ニューヨーク州クーパーズタウンにあるアメリカ野球殿堂

今では考えられないほどの実力差があった日本とメジャー・リーグ
さて、アメリカ野球殿堂入りを果たしたイチローだが、彼についてはもう充分に語り尽くされている。1992年、イチローは愛工大名電高からドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)に入団。3年目に本名の鈴木一朗から登録名をカタカナの『イチロー』に変更して大ブレイク、弱冠21歳にして当時の日本プロ野球(NPB)新記録となる210安打を放って首位打者に輝いた。
その年以降7年連続首位打者を獲得して、2001年に満を持してポスティング・システムによりメジャー・リーグ(MLB)のシアトル・マリナーズに移籍。日本人野手として初のメジャー・リーガーとなった。この年、阪神タイガースの新庄剛志(現:北海道日本ハム ファイターズ監督)もMLBのニューヨーク・メッツに入団している。
日本人初のメジャー・リーガーは、1964、65年にサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーしたマッシーこと村上雅則投手。ただ、マッシーの場合は南海ホークス(現:福岡ソフトバンク ホークス)から留学生としてジャイアンツ傘下の1Aチームに派遣され、そこで実力が認められてメジャー昇格したので、初めからMLBを目指していたわけではない。
初めて自らの意思でMLBに挑戦し、実際にメジャー・リーガーになったのは1995年、ロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手だ。野茂は近鉄バファローズ(後にオリックスに吸収合併)のエースとして活躍したが、MLBへの憧れが強く、さらに鈴木啓示監督との確執も相まって強引に任意引退し、メジャーへの扉をこじ開けた。つまりマッシー以来30年間、日本人メジャー・リーガーは存在しなかったわけだ。江夏豊投手など、何人かの日本人選手はMLB挑戦したが、メジャー昇格はならなかった。
そんな時代背景もあって、野茂がMLB挑戦を表明した時、多くの人は無謀なチャレンジと思っていたのだ。もちろん、その理由は日米の実力差に他ならない。
当時の日米野球では、ほとんどが日本チームの負け越し。それもメジャー・リーガーは日米野球など真剣に考えておらず、観光旅行のつもりで来日していたのである。
1986年、この年からMLBオールスター・チームが来日して日米野球を行うようになった。それまではMLB単独チームの来日だったが、この頃になると日本オールスター・チームだと互角に戦えるようになったので、それなら日米オールスター同士の対戦にしようと企画されたのだ。
この時の全日本はエースが江川卓、四番打者が2年連続3回目の三冠王を獲得した落合博満だったので、MLBオールスターともかなりいい勝負するのではないかと期待されたのである。
ところが、蓋を開けてみると1勝6敗で全日本の惨敗。しかも7戦で全日本はホームランをたった2本しか打てなかったのに、MLBオールスターは19本とパワーの差を見せ付けられた。
江川の球は全く通用せず、三冠王の落合もホームランを打てなかっただけではなく、ホームランを確信しながらセンター・フライに倒れるなど、力不足を痛感した。落合をして「日本はメジャーには半永久的に勝てない」と完全にシャッポを脱いだのである。
翌1987年には、アトランタ・ブレーブスの四番打者だったボブ・ホーナーがヤクルト スワローズに入団。前年のMLBオールスターに選ばれるほどの選手ではなかったが、日本の球団に入団した初めての現役バリバリのメジャー・リーガーとして注目された。
二度の三冠王に輝いた史上最強の助っ人である阪神タイガースのランディ・バースですらアメリカでは3Aの選手に過ぎず、それまで来日した外国人選手と言えばマイナー・リーガーか、メジャー・リーガーでもとっくに盛りの過ぎたロートルしかいなかったのだ。
噂に違わず、ホーナーは来日当初からホームランを連発し、日本中にホーナー・フィーバーを巻き起こす。当然、翌年も日本での活躍が期待されたが「日本のベースボールは『野球』という名の別のスポーツだ」という厳しい言葉を残してメジャーに帰った。
しかも、たった1年でレベルの低い日本野球に慣れてしまったホーナーはメジャーではもはや通用せず、その年を最後に引退している。
それほどの日米格差があった野球で、野茂がMLBで通用するのか疑問に思った人が多かったのは当然だ。しかし野茂は、MLB初年度でいきなり13勝をマークし、236奪三振でナショナル・リーグの奪三振王。と同時にナ・リーグの新人王にも輝いている。
この年のMLBはストライキのためシーズン開幕が遅れたため、144試合制となって野茂は13勝止まりだったが、例年通り162試合制だったら20勝近くは稼いでいたかも知れない。
なお、野茂は同年6月2日にMLB初勝利を挙げるが、その直前の5月29日、前述の山際淳司さんが野茂の初勝利を見ることなく、46歳の若さでこの世を去っている。
▼野茂英雄がMLB初勝利を挙げたロサンゼルス・ドジャースの本拠地、ドジャー・スタジアム

日本人野手でもMLB記録を塗り替えられることを証明したイチロー
野茂英雄の成功により、日本人でもエース級ならMLBで通用することを証明した。野茂以降も『大魔神』こと佐々木主浩をはじめ、何人もの日本人投手がメジャー・リーガーとなっている。
だが、野手となれば話は別だ。NPBの投手レベルはたしかに高いが、野手(打撃面で)となると日本人はMLBに比べかなり見劣りすると思われていた。
筆者も、イチローのMLBでの活躍を懐疑的に見ていたのを憶えている。普通にプレーできれば、イチローの実力ならMLBでも打率3割以上は打てると思っていたが、問題は『普通にプレー』できなかった場合だ。
当時のNPBは135試合制だったが、MLBは162試合制で27試合も多い。しかも、この頃のNPBにはまだ北海道や東北に球団が無かったので遠征は全て新幹線で事足りるが、イチローが入団したシアトルは西海岸の最北端で移動には最も過酷な本拠地だ。
しかも、日本と違いアメリカには最大3時間も時差がある。先発投手なら休養日があるが、野手はほぼ毎日のように試合に出場しなければならない。
特にイチローは細身な体で、さらに偏食家である。栄養のバランスが悪く、そしてアメリカの食事が合わなければスタミナを維持できない。連日の試合に4つの時間帯があるアメリカで、イチローは体力的に充分なパフォーマンスは難しいと思ったのだ。
ところがイチローはMLBの1年目、157試合に出場し.350の高打率でいきなり首位打者、56盗塁で盗塁王も獲得してマリナーズの地区優勝に大きく貢献した。
さらにアメリカン・リーグの新人王、ゴールド・グラブ賞、シルバー・スラッガー賞はもちろん、シーズンMVPにまで選ばれたのである。筆者の予想は完全に外れた。

この頃のMLBは、マーク・マグワイアやサミー・ソーサによる歴史的なホームラン数争いがあって、まさしくパワー野球全盛。そこへ走攻守の三拍子が揃ったイチローが現れ、アメリカのファンは改めてパワーに頼らない野球の醍醐味を再確認した。この年のイチローのホームランはたった8本だったのに、イチローのプレーは観客を魅了したのである。
スポーツ・ライターの玉木正之氏はドーピングのマグワイアとコルク・バット使用のソーサとのホームラン争いを絶賛し、ロバート・ホワイティング氏はMLBでイチローは通用しないと断言した。彼らはMLB通を自称しながら、野球を全く知らなかったのだ。かくいう筆者も、イチローのここまでの活躍は予想できなかったので、あまり偉そうなことは言えないが。
筆者が驚いたのは、イチローの首位打者や盗塁王ではなく、レーザービームがアメリカ人の度肝を抜いたことだ。日米の差はパワーの他に、肩の強さがある。イチローは日本では強肩として知られていたものの、MLBの中では肩は並クラスだと思っていたのだ。
しかし1年目のオークランド・アスレチックス戦で、イチローは完璧な送球で走者を刺す。この時のアナウンサーが興奮して実況した『レーザービーム』がイチローの代名詞となった。