丸藤正道の怒り爆発! プロレスに対するマイナス・イメージ

 丸藤正道は激怒した。
 と、『走れメロス』のような書き出しになってしまったが、丸藤が何に対して激怒したのかと言うと、スポーツニッポンが報じたTKO木下隆行の松竹芸能退所、その原因となったパワハラ問題についてである。プロレスとは無関係の記事だったが、問題は記事の中に『プロレス』という文言が出て来たことだ。だが、TKO木下とプロレスとの間に、何の関係があるのか?

 スポニチの記事では、後輩芸人がお笑いライブでTKO木下の暴露話をしたことを、TKO木下は『プロレス』と表現した、とある。つまり、笑わせるための『仕掛け』だった、と。
 この表現に丸藤は怒ったわけだ。TKO木下に対してではなく、書いた記者に対して。

「この『プロレス』ってどういう意味? 全く理解不能。どこに‘プロフェッショナル’の‘レスリング’があるわけ? こっちは‘プロレス’守るために必死にやってんだよ」
「命を落とした人もいるんだ。大怪我をした人もいるんだ。やりたくてもやれなくなった人も沢山いるんだ。自分が子供の頃から夢見てきて、一生懸命やってる、それで生きてってるものを『都合よく』、『1つの例え』として使われたらどう思うよ?」

 と、自身のTwitter上で怒りをあらわにしたのである。特に丸藤の場合は、三沢光晴の死を体験しただけに、余計に憤慨したのだろう。


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偏見と闘ったプロレスラーたち

 丸藤ではなくても、プロレスラーは『プロレス』という言葉がどういう風に使われているのか、非常に敏感だ。昔から『プロレス』は、あまりいい意味では使われて来なかったからである。

 小学生が悪ふざけをしあって大怪我した場合、新聞やニュースでは『プロレスごっこによる大怪我』と報道されることが多い。本人たちはプロレスごっこなんてしてなかったのに、である。
 大人同士でも、揉め事になって取っ組み合いを始めたら『ついプロレスになった』などと言う場合があるのだ。ところが、死亡事故にまで発展すると『プロレス』という言葉はなくなる。
 テレビ番組などでも、ヘタな演出をすると「プロレスみたいな仕掛けはいらない」などと批判されることがあるだろう。『プロレス』という言葉には、どこかに『本気ではない』『ふざけている』というニュアンスがあると感じざるを得ない。

 実際にはプロレスラーは、他のスポーツに負けないほどの厳しいトレーニングを積み、試合では常に危険が付き纏う。本来あってはならないことだが、三沢光晴は試合中に死亡したし、再起不能の大怪我をした選手は数知れず、引退後も後遺症に悩まされるプロレスラーは多い。

 プロレスが日本に輸入された頃から、プロレスには常に偏見が付いて回った。それに徹底抗戦したのが力道山である。特に『八百長』という言葉と闘った。レスラーが最も忌み嫌う単語だ。
 1954年に行われた力道山vs.木村政彦の前に、ある一般週刊誌が「真剣勝負なら木村、八百長なら力道山の勝ちと予想する者が多い」と書いたところ、力道山は激怒して訂正記事を出させた。
 また、ある記者が「力道山の空手チョップは、あまり効かないらしい」と書けば、力道山はその記者に予告なしで空手チョップを見舞い、悶絶させてしまったこともある。事の良し悪しはともかく、力道山はプロレスのイメージを守るために必死だった。

 その力道山の精神を受け継いだのがアントニオ猪木だ。猪木は『プロレスこそ最強の格闘技』の看板を掲げ、オリンピック柔道無差別級の金メダリストであるウィリエム・ルスカや、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリらと異種格闘技戦を行った。これも『プロレスは八百長』という世間のイメージを払拭するためのものである。
 ただ、アリ戦で背負った莫大な借金を返済するために、異種格闘技戦を乱発するという本末転倒な状態には陥ったが、それでも異種格闘技戦路線は多くのプロレス・ファン、というか猪木信者を生み出した。
 とはいえ『プロレスは最強の格闘技』という看板は、1990年代のバーリ・トゥード台頭により、プロレス界は却って苦しめられるようになったのだが……。

▼史上最強のボクサー、モハメド・アリと闘ったアントニオ猪木

 同じ力道山の弟子でも、ジャイアント馬場は異種格闘技戦には全く興味を示さなかった。異種格闘技戦は、コンプレックスの裏返しだ、と。そして猪木vs.アリ戦を「打たれ強いはずのプロレスラーが、グラブをはめたボクサーのパンチを恐れて寝ながら闘ったのでは、却ってイメージダウンだ」と批判的だったのである。
 馬場がたった一度だけ、身長226cmの空手家、ラジャ・ライオンと異種格闘技戦をやったことがあるが、有名な茶番試合となった。「異種格闘技戦なんて、所詮こんなもんさ」という馬場のメッセージだったとも言える。

 第一線から退いた晩年の馬場は、前座でファミリー軍団vs.悪役商会という『お笑いプロレス』を演じた。あんな試合を見せられると、もう誰も『プロレスは八百長』などとは言えなくなる。馬場は普通にプロレスを見せることで、プロレスに対する偏見を払拭しようとしたのだ。ある意味、これが馬場の凄さでもある。

 力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木は、それぞれ違う方法で偏見と闘ってきたのだ。

▼ジャイアント馬場は『明るく楽しく激しく』をモットーに世間の偏見と闘った

プロレス界にとって最大の敵は『非難』ではなく『無関心』

 偏見と闘っているのはプロレスラーだけではない。プロレス・ファンだってそうだろう。プロレス・ファンであるが故に、クラスメイトや同僚からバカにされた経験は誰だって一度や二度はあるはずだ。もちろん、筆者にもある。
 子供の頃、あるいは若い頃は誰もが夢中になったプロレスも、成長するにつれて1人、また1人とプロレスから『卒業』していく。プロレスは一種のハシカみたいなもので、みんな一度はその熱病にうなされるものだ。だが、免疫ができてしまうと、ほとんどの人はプロレスから離れる。

 しかし、ハシカにかかりっぱなしのプロレス・ファンは、かつてはハシカにかかっていた連中から「プロレスなんて、まだ見てんのか。あんなもん八百長じゃないか」などと言われ、悔しい思いをしてしまう。
 それに対して“気弱な”プロレス・ファンは反論できない。そのもどかしさが、村松友視氏が書いた『私、プロレスの味方です』(角川文庫)によく現れていた。

 とはいえ、バカにされるのはまだマシかも知れない。そもそもハシカにかかったことがない、要するにプロレスの存在すら知らない人が増えているというのだ。武藤敬司の愛娘である武藤愛莉ですら、中学時代は『プロレス』という言葉すら知らないクラスメイトがほとんどだったと語ったことがある。
 つまり、相手がプロレスを知らなければ、バカにされようもないのだ。

 いくらプ女子が増えたと言っても、多くの女性がプロレスに興味を持っているとは思えない。数年前、『歴女』という言葉が流行ったが、ほとんどの女性は歴史になんて無関心だろう。
 ブームと言っても所詮その程度で、多くの場合はその業界で注目されているだけである。

 3月22日、さいたまスーパーアリーナでK-1が有観客試合を実施したために、埼玉県知事や東京都知事から名指しで非難され、世間からも大バッシングを浴びた。ところが、同時期に複数のプロレス団体が有観客試合を行ったにもかかわらず、ほとんど批判は受けなかったのである。
 おかげで、イメージダウンしたK-1ほどのダメージをプロレス界は負わなかったのだが、喜んでいいものかどうか。要するに世間では、プロレスで有観客試合が行われていることすら知られてなかったわけだ。
 もちろん、K-1は約6千人を集めるという大規模なイベントだったということもあるが、それでも人気絶頂だった2000年前後の頃のK-1ではない。だが、K-1の有観客試合は大きく報道されたのである。批判を受けたK-1にとっては堪ったものではないが、まだ世間の関心はあったのだ。

 最大の敵は『非難』ではなく『無関心』だと、よく言われる。その点、有観客試合を決行しながら批判を浴びなかったプロレス界は、あまり良い状況ではないのかも知れない。
 だからと言って、丸藤が怒りをあらわにしたようなプロレスに対する偏見があって良いわけはないが、偏見や誤解と闘いつつ知名度を上げていくことが必要である。

▼3月25日は有観客試合を行っていたWRESTLE-1も、4月1日のラスト興行は無観客試合に


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’20年04月09日号志村けんWM直前コロナ世界100万人 潮崎豪藤田和之 WRESLE-1大団円