[ファイトクラブ]「ベビー」、「ヒール」、そして「凄玉」という概念に関する考察

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[週刊ファイト3月29日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼「ベビー」、「ヒール」、そして「凄玉」という概念に関する考察
 by 立嶋博
・「凄玉」は必ず「ヒール」でなくてはならないか?
・「外敵」でも、「性根が悪い人」でないなら「ヒール」にはならない!
・「悪さ」をせずとも強いハンセン、「悪さ」に挑んだ晩年の猪木
・「ベビー」「ヒール」「凄玉」。そして、もう一つのプロレスのロール


 古典的プロレスにおける選手のロールと言えば、「善玉(海外での呼称はベビーフェイス、テクニコなど)」と「悪役(同じくヒール、ルードなど)」と決まっている。
 プロレスとはローカルなショービズである。テリトリーごと、団体ごとに中心選手(多くの場合はベビー)がいて、それに手向かう勢力はヒールとして括られる。
 ベビー側は常に善でファンの声援を受け、ヒールはどこまでも悪でブーイングを浴びる、というのが大原則である。
 この二元論は、大衆に極めて分かりやすい。プロレスという入り組んだジャンルを定義する上でのグランド・セオリーと言っていい。

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 さて、作家の村松友視氏(「視」の正確な表記は「示」に「見」)は、スタン・ハンセンについて特に「凄玉(すごだま)」という別段のカテゴライズを提唱したことがある。

 村松氏がそれを想起したのは、ハンセンが新日本マットで猪木と抗争していた当時のことであった。
 タイガー・ジェット・シンやザ・シークなどに見られる残虐でニューロティックなスタイルとは異なるが、やはりある種の「ヒール」であり、ヒーローの猪木を脅かす恐るべき「外敵」であるはずのハンセンが、当の猪木ファンから熱狂的な声援を受けている様子に驚いて、氏はこのパラダイム・シフトの発現を覚知したのである。
 確かにこと日本においては、ハンセンが頭角を現す以前とそれ以降とでは「ヒール」に対する大衆の捉え方がかなり変わったと考えられるから、後世になってマット史を俯瞰する上で、これは重要な指摘であったろう。スタン・ハンセンは、存在自体がエポックである。

 「凄玉」は必ず「ヒール」でなくてはならないか?

 しかしながら村松氏はあくまで、二元マトリクスにおける「ヒール」の象限の一角に「凄玉」の概念を導入しようとしたものと思われる。
 ご本人に確かめたわけではないから確言は避けるが、少なくとも氏は、「ベビー」の象限においても「凄玉」の概念が援用できるとは考えていなかったのではないか。
 村松氏は、「ベビー」と「ヒール」の二元論を一旦追認した上で、日本スタイルの中だけに出現した特殊なヒールとして「凄玉」ハンセンを位置づけたのである。「凄玉」はハンセン固有のカテゴリー、彼一代限りのものとして現出した特異点であると考えたのである。

 村松氏が盛んにプロレスに関する随筆、小説を発表していたあの時代においては、その直感は間違っていない。当時、ハンセンは唯一の「凄玉」であり、ポジションとしては猪木の対面にまともに立つ身、すなわち新日本を代表するヒールだったからだ。
 私も氏の「凄玉」の提案には同意する。

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