[ファイトクラブ]日本マット界の歴史を彩った「兄弟選手」列伝 ~その1~

[週刊ファイト3月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼日本マット界の歴史を彩った「兄弟選手」列伝 ~その1~
 by 立嶋 博
・ドリーJr.&テリーのファンク兄弟 ~歴史を変えた男たち~
・マスカラス三兄弟 ~次兄? 長兄? エル・シコデリコの謎~
・ベン&マイクのシャープ兄弟 ~全ては頑丈な肉体から始まった~


 冬季五輪では、今回も兄弟・姉妹選手の活躍が目立った。
 ノルディック複合の渡部兄弟、ジャンプの小林兄弟、スピードスケート(ショートトラックを含む)の高木姉妹と菊池姉妹、カーリングの吉田姉妹の活躍はいずれも印象的だったし、アイスダンスでは日系アメリカ人のシブタニ兄妹がメダルを獲得した。
 その他、五輪代表にはなれていないが、スノーボードの平野歩夢には同じ競技をする兄が、ジャンプ女子の伊藤有希には弟がいる。パラ五輪スノーボード代表の成田緑夢が、過去の五輪で同じ競技に出場した成田童夢・今井メロ兄妹の弟であることも有名た。

 冬のスポーツは誰にでも取り組めるようなシンプルな種目が少ない。
 スケート、ソリ、ノルディック等はいずれも、専用の競技施設、用具(これは、強くなればメーカーからの支援も得られるが)、そして十分な練習・遠征資金がないとできない競技ばかりである。
 必然的に、競技に積極的に取り組める地域、階層は絞られる。親子兄弟姉妹で同じ競技をやるケースが多いのは当然と言える。
 他の種目では、モータースポーツの世界で非常に親子・兄弟選手が多い。これまた、選手として一流になるために莫大な資金と特殊な環境を要するジャンルだからである。

 プロレスでも同じようなことが言える。
 柔道、剣道、ボクシングであれば、町道場で気軽に始めることも可能だが、プロレスはそうはいかない。生まれ持った体格、運動神経、特有の技術に加え、自己演出能力を身につけておく必要もある。事故の危険性も他種目より大きく、誰にでも広く門戸が開かれているわけではない。
 日本であれば、まず各団体に所属してデビューを目指して練習を積むことになるし、諸外国では原則として独力で体を大きくして、独力でプロモーションに売り込んでいくしかない。
 しかし家族や親族がプロレスをやっていれば、その影響下でプロレスラーとしての素養を磨き、デビューに当たってコネも利用することができる。プロレスというジャンルを「理解」する能力も、普通の若者よりは優れている。
 プロレスに親子兄弟選手がかなり多いのは、そうした事情による。

 日本国内で兄弟姉妹選手というと、義浩・光雄の百田兄弟、ジョージ・拳磁の高野兄弟、ソチ・文子の浜田姉妹、大地・風香の柿本兄妹、美央・イオの紫雷姉妹など、かなりの例が思いつく。
 残念ながら、天下を取るほどオーバーした兄弟姉妹選手というのはまだいないが、運動神経もルックスも抜群の浜田文子をはじめ、何人かの好選手は出現している。私の見解では、全体に兄・姉よりも弟・妹の方が良い、または人気が高い選手であるケースが多いように思うのだが、読者諸兄はどのようにお考えだろうか。

 ところが外国人選手の場合は逆に、兄が優れているケースも少なくないように感じられる。

 以下、いくつか兄弟選手の事例を見ながら、その辺りのことも考えていくことにしよう。

ドリーJr.&テリーのファンク兄弟 ~歴史を変えた男たち~

 ドリーJr.はNWA世界王座に4年3ヵ月余の長きにわたって君臨した大選手である。前任者であるジン・キニスキーの地味なレスリングに比べ、若き王者ドリーのレスリングはその立体感、華やかさが際立っていた。彼の出現を契機に、プロフェッショナル・レスリングの流れは大きく変わったのである。
 これは、やや大げさに言えば音楽史上におけるベートーヴェンの役割(自由な展開で古典派の伝統的和声法に一石を投じ、ロマン派音楽の時代への転換点となった)にも比肩する偉業である。ベーシックなレスリングの技量も高く、誰と闘っても破綻のない試合ができる器用さも持ち合わせていた。BI時代のアントニオ猪木との名勝負は、今でもオールドファンの語り草だ。

 他方、テリーもまた1年2ヵ月ほどの間、NWA世界王座を保持している。これは長期政権とは言えないが、シュート中のシュートとして知られるディック・ハットン(かのルー・テーズから王座を奪取するも、1年2ヵ月後にパット・オコーナーに敗れる)に匹敵する長さではあり、3回の戴冠がいずれもごく短期に終わったダスティ・ローデスやジャイアント馬場に比べれば遥かに価値を認められた王者であったと言える(馬場の場合は、また別段の思慮忖度が必要ではあるけれど)。
 猪木はテリーの実力はドリーに及ばないと公言してはばからない。しかし、レスリングそのものよりも勢いやサイコロジーを前面に打ち出すテリーの流儀は猪木のスタイルにも一脈通じるものがある。今となっては詮無い仮の話であるが、もしも全盛期の二人が新日本マットで相対する機会があったなら、大地を揺るがす歴史的大熱戦になった可能性が高い。プロレスの天才・猪木はそのことを百も承知であろうから、この談話は政治的な事情を考慮しつつ、かなり割り引いて聞いておくべきであろう。
 それなりの期間、NWA王者として世界をサーキットしていた実績についても、元よりそんな地位境遇は望むべくもなかった猪木としては、コンプレックスと共に認めざるを得ないはずである。

 とはいえ、この兄弟の場合はわずかではあるが兄のドリーの方がより成功したレスラーであると評すべきであろう。

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 マスカラス三兄弟 ~次兄? 長兄? エル・シコデリコの謎~

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 「長兄」のミル・マスカラスは、母国メキシコ、米メジャー、同インディー、日本マットその他を股に掛け、文字通りリングを跳び回った、説明不要の大スターである。殊に我が国では、ザ・デストロイヤーと並んで最も成功した外国人マスクマンとされている。
 負けが許されぬ絶対ベビーであったために全日本マットではシングルのタイトル戦線にはあまり顔を出さず、いわば別格扱いのような特殊な立場にあったが、華麗な入場シーン、マスク投げ、フライング・クロス・チョップやプランチャ・スイシーダ、不思議なジャベの数々に、ストレートに魅了された日本人は多かった。

 末弟のドス・カラスもよく来日していたが、ファイト内容が似ていたこと、人気者の兄よりも大型ゆえに、当時のファンの目にはやや大味に見えてしまった(今見てみると、全くそんなことはないのだが)ことから、人気爆発とまではいかず、どうしても「二番手」感が付きまとった。
 兄弟でインタータッグに挑戦するような場合でもドスがジョバーを務めるのが常で、たまの単独来日の際には、言い方は悪いが「マスカラス印の紛い物」「兄より大きいけど兄より弱い弟」というファンから一方的に貼られたレッテルは如何ともし難く、動員への寄与は少なかった。
 全く、よくも本人が腐らなかったものである。不当な評価を気にせず、機嫌よく何度も来日してくれたドスの度量の広さには感服するばかりである。

 さて、この兄弟の場合、よくわからないのが「次兄」のエル・シコデリコである。来日は日プロ時代の一度だけなので、筆者はシコデリコのファイトぶりを知らない。しかし巷間耳にする彼の評判は一様に芳しくない。

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