【マット界舞台裏現場特派員報道済み】ジミー・スヌーカ32年後のコールドケース第3級殺人罪審判

 現地時間9月1日、ついにジミー・スヌーカが32年後のコールドケースとして第3級殺人罪の審判が下った。告発のきっかけが2年以上前に発売されたこの事件の再審を訴える電子書籍の発売から。そしてついに審判の日を迎え、第3級殺人罪となった。
※Top画像バディ・ロジャースがマネージャーだった全盛期のジミー・スヌーカ(左)亡くなったナンシー(右)

 1983年5月9日早朝、WWWFのTV収録拠点ペンシルバニア州アレンタウンのモーテルで、ジミー・スヌーカのガールフレンドだったナンシーさんが亡くなった。事故死として扱われたものの、当時から「スヌーカがぶん殴って殺した」という噂は流れていたものだ。それから30年がたち、『ジャスティス・デナイド(正義は拒絶)』と題された電子書籍が出版され、「これは殺人事件として扱われるべき」との記述があることから、現地アレンタウンの新聞とかも30年前の事件を大きく取り上げて、米国人気TVドラマ『コールドケース』と同じ展開になった顛末である。

 本誌はタダシ☆タナカ通信員(当時ニューヨーク在住)が同僚のビル・アプター、ジョージ・ナポリターノ記者らと取材しており、ナンシーさんの生前の写真までを所有しているのは、恐らく世界中の媒体のなかで唯一、海外ネットワーク宇宙最強を誇る本誌だけだと思われる。
 この種の事件報道に美談や美化があってはならない。ナンシーさんは当時の現場記者たちが良く知る典型的なグルーピー(業界隠語アリーナラッツ)であり、42丁目にあったWWFの常宿だったラマダインにたむろしていた一員だったことも事実だ。もちろん熱心な男のファンもたむろしており、のちにECWを大変貌させたポールE少年もそこにいたという笑い話のような実話もある。また、スヌーカの自伝(英文のみ)では、「俺様は1000人以上とやりまくった」と1000人斬りを豪語している記述があった。スヌーカがモテまくっていたのは本当の話だ。エキゾティックなところがかえって白人女性にねだられる要因だったと推定される。

 詳細版はマット界舞台裏9月10日号天龍引退AJスタイルズJスヌーカ安達勝治DeepJewels新日キックに掲載されました。

 当時の取材メモから掘り起こした、米国電子書籍『ジャスティス・デナイド(正義は拒絶)』から端を発した事件の全容と分析記事は以下のマット界舞台裏’13年5月23日号に収録されている。
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▼30年後のコールドケース!? 「ジミー・スヌーカのガールフレンド死亡は殺人事件!」と告発の電子書籍
マット界舞台裏’13年06月20日号白石武藤戦争Jスヌーカ新日BOSJ(め)組

 なお、72歳になったスヌーカさんは胃ガンとの闘病中であり、パスポートこそ取り上げられたが$100,000とされる保釈金の1割にあたる1万ドルを支払ったため、健康状態も考慮して収監は免れた。

他には
外国人スーパースター列伝:ジミー・スヌーカ収録号
wkbutaiura057-718マット界舞台裏’14年8月7日号TNA崩壊WWE改GongJスヌーカJドーリング大仁田Z1芝Reina長瀬館長
140801wb057Sunuka
※現在の空中殺法に多く影響を与え、現在は娘のタミーナが先日の両国国技館大会にも参戦したスヌーカだが、井上譲二記者は、日本でのブロディと起こした新日本プロレスのタッグリーグ戦ボイコット事件の真相を公開した。何故、ボイコットをしたのか? ブロディとスヌーカの関係は?